2025/08/07

Taiwan Today

文化・社会

日本統治時代の戸籍謄本から分かる当時の社会

2012/12/14
日本統治時代の台湾の戸籍。(高雄市政府民政局サイトより)
台湾における戸籍制度は、日本統治時代の1906(明治39)年に始まり、それからすでに100年以上が経過した。戸籍謄本の記載は当初、清朝の漢文を踏襲し、日本語や台湾語が混在する形で記された。しかし、この戸籍謄本は当時の社会の姿を浮き彫りにするだけでなく、現代との用語の興味深い違いを発見することもある。

日本統治時代の戸籍調査簿には、現在の戸籍謄本には見られないさまざまな欄がある。例えば、「種族」欄には「内(日本人)」、「福(台湾人)」、「広(客家人)」、「中(中華民国人)」などと記載され、出自を区別した。変わったものには、アヘン服用を特別に許可された人に「阿」、纏足の人に「纏」、纏足をやめた人に「解」などと記載されていた。種痘の有無については「感」か「不感」と記し、「不具」の欄には「聾」や「盲」、「瘋」といった文字が記されることもあった。

戸籍名簿の中の「続柄」とは、その人と戸主との関係を記したもので、中には台湾の伝統的な社会ならではのものもある。「過房子」とあれば、同姓の同宗族の子どもで、戸主の養子となったことを意味し、「螟蛉子」とあれば、他姓の他宗族の子どもで、戸主の養子となったことを意味する。また、「媳婦仔(跡取りの嫁として子どものときに出された養女)」は、戸主の子どもの妻となるために引き取られた子どもを表す。

また、日本統治時代の用語や意味は、現在と大きく違っている。戸籍の担当者が日本語を解さないことと、これまで先人が使っていた多くの用語が混じっていることで、しばしば違う意味にとらえられることもある。「同居人」とは、血族ではない親族を意味するが、中国語では「同棲」という意味になってしまう。また、若い戸籍担当者が、謄本に記載された、台湾語で「遊女屋」を表す「査某間」に困惑し、昔の人はこの種の営業場所すら戸籍簿を作るとはなんとオープンなのかと驚いたが、調べて初めてこれが「下女」を意味するものだったことがわかったという例もある。

戦後の1952年からこれまで、改正を重ねて9種類の戸籍名簿が存在する。過去の8種類はすべて、戸籍担当者が手書きで綴ったもので、最新版でコンピューターの印刷物となった。2010年7月からは全国の戸籍ネットワークがオンラインで接続され、コンピューターを通じて戸籍に記載されている先祖を検索することができる。戸籍名簿も時代に伴い進化し、自分のルーツ探しもより簡単なものとなっている。

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